教会の歴史

1949年 家庭集会を開始
1964年 新庄明星教会を創立
1974年 新庄市上金沢町を礼拝所とする 尾形隆喜師、着任
1976年 藤森牧男師、着任(主管者:森山 諭師)
1977年 希望が丘キリスト教霊園運用開始
1982年 新会堂献堂
1987年 長谷川和雄師、着任
1992年 上森泰造師、着任
2001年 原 匡邦師、兼牧
2002年 宮澤清志師、着任
2004年 小泉 創師、着任
2011年 高橋未来師、着任
2012年 森本小夜師、着任
2013年 小泉 創師、兼牧 インターネットによる説教の同時中継開始
2019年 石川剛士師、着任
2020年 小泉 創師、兼牧
日本イエス・キリスト教団について

1890年、英国国教会の牧師であったB・F・バックストンが宣教師として来日。彼は、聖霊による心のきよめを強調し、日本人の働き人たちやよき同労者P・ウィルクスの協力を得て宣教活動を進めた。
やがて、英国において、日本への宣教の目的を持つ団体として「日本伝道隊」が結成され、翌年1904年、現地「日本伝道隊」が結成された。 この「日本伝道隊」は、近畿各地への伝道を進め、各地の修養会の開催に協力し、そのような働きの中で、各地に教会が出来た。
そのような中、岡山県下の諸教会が結束して「イエス・キリスト召団」、神戸地方の諸教会が結束して「聖書教会」を設立、1935年にはこれら2つの団体が合同して「日本イエス・キリスト教会」(教会数32)が設立さた。 戦時中は、国家政策により各宗教団体は合同を迫られるようになり、1940年、日本伝道隊系諸派は「日本伝道基督教団」を結成。
1941年にはついにプロテスタント諸教派が合同して「日本基督教団創立」となり、「日本伝道基督教団」もその傘下に入れられた。
戦後、そのような中から多くの教派が「日本基督教団」から離脱、独立していき、旧「日本イエス・キリスト教会」系の諸教会が参加して「日本イエス・キリスト教団」結成に至った。
(日本イエス・キリスト教団函館中央教会HP「日本イエス・キリスト教団」のご紹介より引用させていただきました)
所属教団について
「主の祈り」と「使徒信条」
主の祈り
「主の祈り」とはイエス・キリストが教えてくださった祈りです。
主の祈り
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン